多分彼女は女王様なイラスト。と戦国時代を調べてみるの件 09/13/2006

またまた、こってりイラスト。どこかの国のお嬢様。
暇じゃのう…ほれ、そこの者、踊れ。
とか言っております。
多分性格は女王様。そこの者と呼ばれた自分はへっぴり腰で阿波踊りなんぞを踊り、お嬢の機嫌を損ね、打ち首獄門。ここまで考えてイラストを…描いてるわけない。
これも全てパステル仕上げ。顔の影だけデジタル水彩ブレンド。
がんばって全身を描いてみる。これからはもうちょっとラインを丁寧に描いていこうと考えてみたり。
自分はN●Kはほとんど見ないけれど『功名が辻』だけは毎週欠かさず見てたり。
んで、やっぱり戦国時代は面白いなぁとネットで色々調べてたら、へぇと思ったことがあったので、メモしておく。
・現在の青森県は昔、津軽藩と呼ばれていた。
・2代目(だっけ?)の津軽藩主が江戸城に呼ばれた時、徳川家康の孫娘、満天姫(元旦那のドメスティックバイオレンスで子連れで出戻り。元旦那の藩はお取潰し)に見初められて逆ナン。満天姫、津軽藩主と結婚し津軽(現在の弘前)に渡り住む。
・しかし津軽藩主には昔からの恋人有り。それが関が原の戦いで破れた石田光成の娘。関が原の戦いで津軽の山に逃げ隠れ住んでいたところを津軽藩主と恋仲に。子供まで出来ちゃう。
・石田光成の娘、満天姫が来たことにより追放。彼女を忘れられない藩主は律儀にお姫様のもとに通う。(これを題材にした物語か何かがあるらしい)
・満天姫の連れ子が元の実家を再興しようとして反逆。満天姫、お家騒動を静めるため実子を毒殺する(怖ぇぇ!)
・跡目が無くなっちゃったので石田光成の娘と津軽藩主の間に出来た子供、世継ぎに引き抜かれる。
津軽藩の藩主はそれからゴタゴタして結局血は最終的に現代には引き継がれなかったみたいだけど、それが今は津軽家の子孫である津軽華子様が今上天皇の弟君の常陸宮と結婚されている。
何だかんだ言って、敗軍だった石田光成の子孫は徳川家康の子孫と競り合って勝ち、一国一城の主になってたんじゃんか。
つか、どこまで本当の話か分からんし、勘違いしてたり間違ってたりするかもしれないけど、へええ、と想像してみるのも面白い。(訂正箇所あったら修正してゆくこと)
これで物語とか書けそう。自分は文才無いが。一番可哀想なのは実は満天姫のような気がしないでもない・・・・・。
| Home |






